はじめに
「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た! という書籍を読んだところ、第一章の「史上最大のプレゼン」がおもしろくておもしろくて。
以下はネタバレ有りで私の感想。
本書は1983年に東京ディズニーランドを開園すべく、日本に誘致した男たちの歴史もの。
私もディズニーは結構好きなので感謝しながら読んでいました。
ディズニーのソアリンっていうアトラクション、終わった後に拍手が自然と沸いたんだけどそういえば上映後に拍手が起きた映画は出会ったことがないな
— 思垢くん@はてなブロガー (@everyday0utput) December 25, 2020
プレゼンまでの流れ
ディズニーがライセンス料目当てで世界にディズニーランドを各国の費用で建設させる計画を立てた際、日本からは三菱グループ(三菱地所)と三井グループ(三井不動産)が手をあげていました。
その中で三菱は三井に先んじてディズニー本社でプレゼンを済ますなど一歩リード状態。建設予定地は富士山麓に300万坪(東京ドーム200個分)の場所を抑えてやる気満々。
一方の三井不動産は、関連会社のオリエンタルランド(浦安の埋め立て事業)が担当した埋め立て地を利用してディズニーを誘致する案を検討。もともと、埋め立ての条件として「県民の雇用と福利に寄与する遊園地を作る」というのがあったそうです。そして三井チームは電通から出向で来ていた堀貞一郎が本件を担当。
ディズニー経営陣は1974年に来日し、三菱と三井に1日ずつプレゼンタイムが与えられます。
が、三菱チームはもともとは意欲満々だったものの1973年のオイルショックのバタバタのせいで招致熱は冷めていたため、プレゼンにもそれが透けて現れてしまいます。
ディズニーチームはそれに苛立ち、慌てた日本の担当者が「明日は大丈夫でしょうか?」と三井チームのプレゼンを知る東映の関係者に電話すると、「心配ない、三井はヘリまで用意しているらしいよ」と返されたんだとか。
三井チームの奮闘
三菱地所だけでなく、世界17カ国を敵に回してのプレゼンを任されたのは前述した堀さん。この時45歳。
堀が日本語で、それを別の人が英語に通訳するプレゼンだったものの、堀の「成田に旅客機がガーッと降りて!」とボディーランゲージを駆使して熱のプレゼンを見せると、米国チームは「日本語の勉強をしてくる必要なかったね(何を言おうとしているのか伝わる)」と笑って大受け。
そしてディズニーチームはカリフォルニアにスキー場を建設しようとした際、地元民の猛反対にあった苦い過去があったことを知っていた三井チームは市の庁舎で皆が歓迎しているということをアピール。
最後は用意していたヘリで「浦安から東京までヘリで6分」と三菱チームの弱点だった都内との距離を暗に示し、新宿の高層ビルをヘリから見せながら「これは日本一高い三井ビルです。東京ディズニーランドの施工は、このビルを立てた三井があたります」と抜群の決め台詞。
本章は以下の一節で締まります。
天下分け目の競合プレゼンテーションはこうして一日で決着がついた